今回の震災は、僕たちが楽しく過ごしている時に、偶然来た自然災害だと思う。
誰かは天罰だとか、人間の行いが悪いからだとか、現実を見ないで子供のような言い訳をする人も少なくないわけで。
でも、そんなわけはなくて、ただ起こりうることが起こっただけ。
前から予測されてたことが連鎖的に起こった。
ただ、それだけ。
で、僕はたまたま被災地に居ただけで、僕は自ら、『我こそは、我こそは』と名乗り出て被災したいからとあの場所にいたわけではない。
たまたまなのだ。
だから僕は、あの日いつも通りの時間で汽車に乗って、宿題をしていたのだ。
だから帰ったら何をしようか考えながら授業を消化していたのだ。
僕はいたって健全で、普通で、ちょっとの特異に憧れてる高校生。
そんな僕は被災者になったわけだ。
家は津波が流した。
母も祖父も行方不明。
でも僕は普通に笑えてるし、他人を弄って遊んでる。
好きな人の考えて、悶えてる。
ギターを弾いて、詩を書いてる。
勉強をしてる。
そこら辺の高校生と考えてることは何にも変わっていない。
そんな僕みたいなのを、世間一般的な言い方をすると『不幸な人』なんだろう。
でも僕はそんなこと思っていない。
例えば、僕が不幸な人と仮定しよう。
可哀想は人なんだろうか。
財産を無くし、住む場所を無くし。
僕は困り果てている。
行こう思っていたのに行けなくなった。
やりたいことはだいたい制限がかかった。
僕は不幸だろうか。
実はそうとは言い切れないんじゃないかと思う。
そりゃ、不幸と言ってしまえば、それでお仕舞いだ。
なんと簡潔な答え。
だけど、全く惹かれないし、興味も湧かない答えだ。
僕はここで、別な答えを出そうと思う。
僕は不幸ではない。
どうだ、『何故?』って聞きたくなるだろう。
理由は簡単だ。
僕は笑えてる。
不幸なら笑えないだろう。
僕はちゃんと、愛想笑いじゃなくて、心から笑えてる。
素敵だろ。
僕みたいな境遇の人はたくさんいて、その中の1人が僕だったわけ。
仕方ない。
狙ってやられたわけじゃない。
僕は受け止めるよ。
嘆くんじゃなく、受け止める。
ちょっと休憩したら、前に進む。
みんな、僕が立つときには手を貸してくれよ?
以上、高校生の戯れ言でした。